Site Overlay

ちゃんとしているのになぜかずっとしんどい時、軽く扱わなくていい

遅刻はしない。
仕事は一応回している。
人に失礼のないようにしている。
頼まれたことも最低限はやっている。
感情もあまり表に出さない。

周りから見れば、たぶん普通にやれている。
むしろ、いい意味でちゃんとしている人に見えているかもしれません。

でも、その一方で、内側はずっと重い。
どっと疲れる。
ぼーっとする。
休んでも回復しにくい。
何がそんなにしんどいのか、自分でもはっきり分からない。

そんな感覚はないでしょうか。

まず伝えたいのは、ちゃんとしているのにしんどいことは、珍しくないということです。

しかも、このしんどさは少し分かりにくい。
大きく崩れているわけではない。
何もできていないわけでもない。
ちゃんとやってはいる。
だからこそ、自分でも
「何がしんどいんだろう」
となりやすい。

さらに、
「もっと大変な人もいるしな」
と思って、自分の重さを軽く扱いやすい。

でも、しんどさの理由がはっきりしなくても、軽く扱わなくていいです。

ここはかなり大事です。
理由が明確でないと、つい「気のせい」「甘え」「考えすぎ」で片づけたくなる。
けれど、はっきり言えないからといって、しんどさが存在しないわけではありません。

このテーマで見たいのは、
“ちゃんとしている”ことの中で、何が続いていたのか
です。

たとえば、

・ 遅刻しないように気を張っていた
・ 仕事を回すために気を配っていた
・ 人に失礼がないように言葉を選んでいた
・ 頼まれたことは断らずに最低限こなしていた
・ 感情を出さないようにしていた

こういうことを続けていれば、外から見れば問題なく見える。
でも内側では、かなりのエネルギーを使っていることがあります。

つまり、ちゃんとしていることが、そのまま無理をしていないことにはならないということです。

ここを取り違えやすい。
ちゃんとやれている。
だから大丈夫。
問題なくこなしている。
だからしんどいはずがない。
そう思うと、自分の消耗はますます見えなくなります。

でも実際には、
ちゃんとしていることが、自分を大切にしていることと同じではない
ことがあります。

人に失礼のないようにする。
場を壊さない。
仕事を止めない。
頼まれたことをやる。
それは社会活動の中ではたしかに大事です。
悪いことではありません。

ただ、そのために自分の感情を後回しにし続けていたら、あとから重くなるのは自然です。

今回のしんどさの正体として、かなりありそうなのは、

・ 自分の感情の後回し
・ 自分の感情の未回収
・ 無意識の比較
・ 無理の上に成り立っている“ちゃんと”

このあたりです。

本当は疲れていた。
本当は嫌だった。
本当は助けがほしかった。
でも、その時は拾わずに進んできた。
すると、表面はちゃんとしていても、内側には未回収のものがたまっていきます。

ここでさらに苦しくなるのが、比較です。

周りで、ちゃんとしていないように見える人が、妙に楽そうに見える。
軽やかに見える。
それが刺さる。
ちゃんとしていること自体が、苦しみに感じて悔しくなる。

しかもそんな悔しがる自分に、また嫌悪感が出る。
本当は、ちゃんとしている人には好感も持てるし、信頼もしたい。
なのに、自分は苦しい。
そのねじれがまたしんどい。

この感覚も、かなり自然です。
比較したくてしているというより、自分のしんどさが見えていない時ほど、他人の軽さが刺さりやすいのだと思います。

だからここで必要なのは、無理に比較をやめることではなく、
自分が何に削がれているかを、なるべく客観的に見ていくことです。

たとえば、今日は

・ 何ができたか、あるいは何に気づけたかを二つ見る
・ 消耗したことを一つ見る、あるいは短く書く

この二つをやってみる。

ここで大事なのは、
“できたこと”と“削られたこと”を両方見る
ことです。

ちゃんとしている人は、消耗ばかりを見るか、逆に「まだやれているから大丈夫」と無視するかのどちらかに寄りやすい。
でも本当は、

・今日も仕事は回した
・失礼のないようにした
・気づけたことがあった
・でも、かなり削られてもいた

その両方があることも多い。
それを一緒に見た方が、現実に近いです。

たとえば、

今日できたこと、気づけたこと

・最低限やることは終えた
・反省会が始まりそうなことに気づけた

今日削られたこと

・人に合わせ続けて疲れた
・感情を出さずにいた分、内側が重かった

このくらいでも十分です。

そして、
「無理していない」ことと「頑張ってちゃんとしていた」ことは別
と見てみるのも大切です。

ちゃんとやれていた。
でも、それは頑張ってやっていたのかもしれない。
頑張っていたなら、疲れるのは自然です。
そこを「普通にできた」と処理してしまうと、回復の入り口を見失いやすい。

もし余裕があれば、少しだけ呼吸や身体感覚に戻る時間を取ってみてください。
長くやらなくていい。
一分でも二分でもいい。
胸の重さや、呼吸の浅さや、肩の張りを見る。
ちゃんとしていた自分の身体が、どんな状態だったかを見てあげる。
それだけでも、しんどさを雑に扱わない流れが作れます。

オンライン瞑想の詳細はこちら

今回のテーマで一番伝えたいのは、
ちゃんとしているのにしんどい自分を責めなくていい
ということです。

ちゃんとしていた。
でもしんどい。
その二つは両立します。
矛盾ではありません。

むしろ、ちゃんとしていたからこそ、見えにくい消耗がたまっていたのかもしれない。
だから、まずは何に削がれているかを見ていい。
比べたくないのに比較して苦しい時も、それは自分のしんどさを無視し続けた苦しさの一つかもしれません。

無理に結論を急がなくていい。
ただ、

・ 今日やれたことを二つ見る
・ 今日削られたことを一つ見る
・ 無理していないことと、頑張っていたことを分ける

このくらいからで十分です。

ちゃんとしているのに、なぜかずっとしんどい時、必要なのはもっとちゃんとすることではないのかもしれません。
まずは、ちゃんとしていた自分を認めること。
そして、その裏で何が削れていたのかを見ること。
そこからで十分です。

一人で整理しきれず、ちゃんとしているはずなのに内側だけ重い感じが続いているなら、
オンラインカウンセリングの詳細はこちら
メールカウンセリングの詳細はこちら
対面カウンセリングの詳細はこちら