職場の雑談。
初対面の人や、まだ少し距離のある相手との会話。
友人グループの中にいる時。
その場では、それなりにやれている。
ちゃんと返して、空気も読んで、変な沈黙も作らずに済んだ。
でも、帰ってきてからどっと疲れる。
そんなことはないでしょうか。
話している最中は、そこまで変でもない。
むしろ周りから見たら、普通にやれているように見えるかもしれません。
けれど自分の中では、ずっと少し力が入っている。
喉が詰まる。
何を言うか、どう見られるか、変に思われないかを、どこかでずっと気にしている。
そして終わったあと、
「また作ってしまったな」
みたいな疲れが残る。
このしんどさは、少し分かりにくいものです。
なぜなら、素を出せないのは不自然なことではないからです。
社会の中では、ある程度、自分を整えて出すのが普通です。
仕事ならなおさらです。
初対面ならなおさらです。
だから、素を出せないこと自体を、すぐ悪いことみたいに扱わなくていい。
むしろそれは、防衛反応としてかなりまともです。
変に思われたくない。
浮きたくない。
言わない方が安全。
そう感じるのは、人と関わるうえで自然な判断でもあります。
ただ、その「作る」が長く続くと、別の苦しさが出てきます。
楽しかったはずなのに疲れる。
話せたはずなのに、自分が少し薄まる。
また次も行くのだろうけど、どうせまた作って疲れるんだろうな、と先に分かってしまう。
そこがつらい。
たぶん苦しいのは、素を出せていないことそのものだけではありません。
本当は、少しは飾っていない言葉を使いたい。
少しは、楽な自分でいたい。
場面によっては、ちゃんとしていない返し方もしたい。
そういう気持ちが、どこかにあるからだと思います。
全部さらけ出したいわけではない。
何も考えずに話したいわけでもない。
でも、ずっと作り続けるのもしんどい。
この半端さが、かなりリアルなんじゃないでしょうか。
だから今回は、
「素を出せない自分を責める」でもなく、
「全部素でいこう」と無理をするでもなく、
少し楽な自分に戻る余地を作る
という方向で考えたいです。
まず大事なのは、作っていた自分を責めないことです。
その場をうまくやり過ごしたかった。
変に見られたくなかった。
会話を壊したくなかった。
それはそれで、その時の自分に必要だったやり方かもしれません。
だから、「また本音が出せなかった」「また作ってしまった」と切り捨てなくていい。
その場の自分には、その場の事情があったはずです。
ただ、そのままにしておくと、自分が何を感じていたのかが見えにくくなることがあります。
なので、一人になった時に、ほんの少しだけ思い出してみる。
本当はどう感じていたのか。
どこで少し無理をしたのか。
何を言わなかったのか。
どの返し方が、自分にとって少し窮屈だったのか。
長く振り返らなくていいです。
一言でもいい。
・ ちょっと気を遣いすぎた
・ 本当はあの話題しんどかった
・ 笑ったけど、あまり乗れてなかった
・ 無難な返しばかりして疲れた
そのくらいでも十分です。
それだけで、「ただ疲れた」から「何に疲れたのか分かる」に少し変わります。
〈本音を言う前に正解を探して疲れる時、うまく返そうとしすぎないために〉←ご参照ください
もう一つ大切なのは、少し楽な返しを選んでみることです。
ここでいう「素を出す」は、いきなり本音を全部言うことではありません。
もっと地味なことです。
無理に盛り上げない。
毎回きれいに返そうとしない。
ちょっとだけ説明を減らす。
全部に愛想よく乗り切らない。
たとえば、
・ へえ、そうなんですね
・ 今日はちょっと静かかもしれません
・ うまく言えないけど、少し考えてます
・ それ、まだ自分の中でまとまってなくて
こんなふうに、ほんの少しだけ「作り込みすぎない返し」を混ぜる。
それだけでも、疲れ方は変わってきます。
素を出せなくて疲れる人は、全部ちゃんと返しすぎていることが多いです。
言い換えると、毎回フルスイングで会話している。
そりゃ疲れます。
だから、少し抜く。
少し余白を残す。
それもかなり大事です。
そして、頭がいっぱいになった時は、身体感覚に戻るのも役立ちます。
喉が詰まっていないか。
肩が上がっていないか。
笑っているのに、顔のどこかが固まっていないか。
胸のあたりが窮屈じゃないか。
そういうのを少し見る。
感情そのものに飲まれそうな時ほど、身体をひとつ挟むと少し距離ができます。
「疲れた」「向いてないかも」と結論を急ぐ前に、
いま身体がどうなっていたのかを見る。
それだけでも、だいぶ違います。
人との関わりは大切です。
必要でもあります。
でも、疲れた時に
「自分は人付き合いに向いてない」
とすぐ決めなくていい。
向いていないというより、毎回かなり作っていたのかもしれない。
それなら必要なのは、性格を変えることより、少し楽な自分でいられる場面を見つけることです。
全部じゃなくていい。
誰にでもじゃなくていい。
この人の前ではちょっと力を抜ける。
この場では無理に明るくしなくていい。
この返し方なら疲れにくい。
そういうものを、自分で見つけていい。
増やしていい。
素を出せないことは、ある意味では正しさでもあります。
社会の中で身を守る知恵でもあります。
でも、無理に作り続けなくてもいい。
その両方を持っていていい。
少し楽な自分でいられる場面を、自分で見つけてみる。
少しずつ増やしてみる。
それは甘えではなく、疲れすぎないための調整です。
素を出せなくて疲れる時。
必要なのは、「もっと自然体になろう」と自分に命令することではないのかもしれません。
まずは、作っていた自分を責めないこと。
あとで本当はどう感じていたかを少し見てみること。
少し楽な返しを選んでみること。
身体感覚に戻って、感情から少し距離を作ること。
そこからで十分です。
素を出せなくて疲れる自分を責めなくていい。
でも、無理に作り続けなくてもいい。
少し楽な自分でいられる場面は、これから作っていけます。
人といる時にずっと気を張ってしまい、あとからひどく疲れるなら、
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