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孤独が守ってくれる時、その静けさを急いで埋めないために

寂しいはずなのに、その時間や孤独感を、どうしても悪いものだと言い切れない時があります。

一人の方が楽だ、と感じる。
誰にも邪魔されていないこの時間を、ただ「かわいそう」とは思いたくない。
それでいて本当は少しだけ、都合よくわかってほしい気持ちもある。
でも同時に、人と関わる方が絶対に正しいのだろう、とも思う。
孤独なんて、いつかは抜け出さないといけないものだ、と。

そういうふうに、相反する気持ちが同じ場所に並ぶことがあります。

何かを失ったあと。
人の言葉より、静かな時間の方がしっくりくることがある。
助けてほしいのに言葉が出なくて、あとから後悔する時もある。
それでも、一人で立っているような感覚に、わずかに支えられていることがある。
落ち着いて考えたい時、自分から一人になりたくてなっている面がある。

そういう時間は、たしかに存在しています。

一般に、孤独はしんどいものとして語られやすい
それはたぶん、かなり正しいです。
人とのつながりが薄くなりすぎることには、現実的に危うい面もある。
困った時に頼れない。
助けが必要な時に声が届かない。
社会の中で孤立が深くなることには、やはり苦しさと危うさがあります。

だから、「孤独はいいものだ」と簡単には言えません。
そこは雑にきれいごとへ寄せない方がいいでしょう。

ただ、それでもなお言いたいことがあります。                                    
孤独がその人を守ってくれる時がある、ということです。

たとえば、人と関わり続けて、ずっと気を張っていたあと。
何かを言われて、胸の奥に重さが残ったあと。
大きな喪失のあと。
説明しきれない疲れのあと。

そんな時に、一人になると少しほどける実感がある。
深呼吸しやすくなる。
寂しいのに、少し安心している。
いけないことのはずなのに、どこかあたたかい。

その感覚まで、急いで否定しなくていいのではないでしょうか。

孤独に守られている感じがあるのに、よくないと思ってしまう。
これも、かなり自然です。
なぜなら、多くの場面で「人とつながること」が善いこととして語られるからです。
実際、それは正しいことも多いです。
つながりに助けられることはたくさんあるからです。
一人では持ちきれないものを、人との関係が支えてくれることもある。

でも、その正しさがそのまま、
「一人でいたい自分は間違っている」
にはなりません。

ここは、丁寧に分けた方がいいと思います。

人とのつながりが大事であること と、
今の自分に一人の静けさが必要なこと は、別の話です。

人と関わることが絶対的に正しい。
だから、一人でいたいのは逃げだ。
そう結んでしまうと、自分の心身がいま何を必要としているのかが見えにくくなります。

もしかすると今の孤独は、人を遠ざけるためのものではなく、
少し崩れた自分を立て直すためのものかもしれない。
何かを整理する前の、静かな土のような時間かもしれない。
外から新しいものを入れる前に、いったん耕し直している時間かもしれない。

そう考えると、孤独はただの不足や欠落ではなく、
回復や整理のための土壌 になることがあるのだと思います。

ここで大事なのは、孤独を美化しすぎないことです。
ずっと一人でいればいい、という話ではありません。
孤独に守られている感覚があっても、それだけで十分だと言い切るのも違う。
そこには、助けが必要な時もある。
つながり直した方がいい時もある。
だからこそ、今の孤独が何なのかを、正誤ではなく 要不要 で見てみる意味があります。

今は、一人が必要なのか。
それとも、本当は助けが必要な事案なのか。
ここを少し客観的に眺めてみましょう。

一人でいると少し解ける。
深呼吸しやすい。
胸のつかえが少しゆるむ。
なら、その孤独は今の自分を守っているのかもしれません。

逆に、一人でいるほど追い詰められる。
苦しさが濃くなる。
助けてほしいのに言葉だけが出ない。それがまたつらく感じる。
その場合は、一人の静けさだけに任せず、人とつながる方へ少し舵を切った方がいいのかもしれません。

だから、孤独は正しいか間違っているか、で裁かなくていい。
今の自分に必要かどうか で見てあげてもいいのです。

今回、小さなやり方としていちばん勧めたいのは、
静けさをすぐスマホで埋めないこと です。

暇だと思うと、つい触る。暇じゃなくてもつい触る。
少しざわつくと、すぐ開く。
でも、本当は暇なのではなく、静けさに入る手前で落ち着かなくなっているだけのことがあります。
そこを全部スマホで埋めてしまうと、孤独が守ってくれていたかもしれない時間まで、流れてしまいやすい。

だから、ほんの少しだけでいい。
すぐ触らない。
すぐ埋めない。
数分でも、そのままにしてみます。

その時、一人でいる自分の身体を少し見る。
背中はどうか。
肩の力は抜けているか。
呼吸は深くなってきたか。
胸は少しゆるんでいるか。
足の裏は床についているか。

こういうのを見てみると、今の孤独が苦しさを深めているのか、それとも少し守っているのかが、言葉より先に分かることがあります。

そして、もし大丈夫そうなら、その静けさに少し留まってみる。
無理に意味を探さなくていい。
答えを出さなくていい。
ただ、ここにいてみる。

寂しいのに、少し安心している。
苦しいのに、少しあたたかい。
その矛盾した感じごと、そのまま持っていてもいいのです。

そういう時間は、たぶん誰にでもあるわけではないけれど、ある人にはあります。
そして、あるなら、なかったことにしない方がいい。

その孤独を、正誤で判断しなくていい
不要でも、人とのつながりが要らないという理屈にはならない。
でも、必要な孤独まで急いで悪者にしなくていい。
静けさを急いで埋めなくていい。
それは、あなただけのものです。

孤独に守られている時もある。
一人の時間にしか戻ってこない感覚もある。
人とのつながりが大事であることと、孤独の静けさが必要であることは、矛盾しません

いままで書いてきた記事の、全てに於いてもいちばん伝えたいのはここです。
一人でいることが、いつも敗北や欠落を意味するわけではない ということです。
ときにはそれが、自分を守る形になる。
少し息を継ぐ場所になる。
まだ崩れきらないための、静かな避難所になる。

だから、孤独が守ってくれる時、その静けさを急いで埋めなくていい。
今はここにいていいのかもしれない、と少し思ってみてもいいのです。
そこからで十分です。

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幸せでありますように。