休日なのに、あまり回復しない。
仕事終わりなのに、気が休まらない。
寝る前なのに、まだ頭だけが動いている。
そんなふうに、休めるはずなのに休めない感じ はないでしょうか。
時間がないわけではない。
少し横になれる。
スマホを見る余裕もある。
でも、ぐったりしているのに休まらない。
ぼーっとしているのに、回復している感じがしない。
そんな不思議な感覚になることがあります。
その時、ついしてしまいやすいのは、スマホを見続けることかもしれません。
SNSを何となく眺める。
少し休んだつもりでも、頭の中では反省会が始まる。
あるいは、せっかく時間があるなら何か生産的なことをしなきゃ、と思う。
そうしているうちに、休みの時間までどこか張ったまま過ぎていきます。
まず伝えたいのは、休めないのは怠けではないということです。
むしろ、張りつめた感じをそのまま持ち越していて、止まり方が分からなくなっていることがあります。
ずっと考えていた。
ずっと気を張っていた。
ずっと何かに反応していた。
そういう一日のあとでは、急に「はい、休んでください」と言われても、うまく切り替わらないことがあります。
しかも今は、スマホを手に取れば刺激がすぐ入ってきます。
疲れていても、止まるより先に何かを見てしまう。
休んでいるつもりでも、頭の中には新しい情報や比較や反応が入り続ける。
だからこの時代は、休むことにも少し練習がいるのだと思います。
ここで大事なのは、頭だけで休もうとしないことです。
「スマホを置いて休まないと」
「何をすれば回復するのかな」
「この時間を無駄にしたくない」
そうやって頭で考えているうちは、休み方そのものも“考える課題”になってしまいやすい。
だから、疲れているのに休み方が分からない時は、頭より先に身体から入る方が休みやすいことがあります。
たとえば、超簡易的なボディスキャンです。
難しく考えなくて大丈夫です。
整えようとしなくていい。
緩めようとしなくていい。
ただ、【ある】ことに気づいていく。
足先。
ふくらはぎ。
お腹。
胸。
肩。
頭。
順番に、そこに何か感覚があるかを少し見る。
重さでもいい。
温度でもいい。
何もよく分からなくてもいい。
ただ、「今ここに身体がある」と気づいていく。
それだけで十分です。
このやり方のいいところは、頑張らなくていいことです。
うまくできているかを判定しなくていい。
落ち着かなきゃと思わなくていい。
ただ、足先から肩、頭までを静かに見ていく。
それだけで、頭だけが先に走っている状態から少し降りてきやすくなります。
もし余裕があれば、その前か途中で、吐く息を少し長めにしてみてもいい。
深く吸おうとしなくて大丈夫です。
ただ、息が出ていくのを少し長めに眺める。
そのあとで身体に注意を向けると、入りやすい人もいます。
休み方が分からなくなる時、もう一つ起きやすいのは、休みを生産性で測ってしまうことです。
今日は何か有意義なことをしなきゃ。
せっかく時間があるのに無駄にしている気がする。
休むだけで終わるのはもったいない。
そう思うほど、休みの時間まで成果を求めやすくなります。
でも、回復はいつも目に見える成果として返ってくるわけではありません。
少しだけ止まれた。
身体に注意を向けられた。
スマホから手を離す時間があった。
反省会ではなく、いまの身体を見た。
こういうことも、ちゃんと休みの一部です。
ここは大事です。
休みを生産性で測らない。
それだけでも、かなり違います。
もし今日はうまく休めなかったと感じても、そこで
「まただめだった」
で終わらなくていい。
少しでも止まれたなら、それは意味があります。
身体を少しでも見たなら、それも意味があります。
心身を少し客観的に見られたなら、それも休みの一部です。
休み方が分からない時に必要なのは、立派なリフレッシュ方法を探すことより、
身体に“少し止まっていい”と伝える時間 を持つことかもしれません。
・ 吐く息を少し長めにする
・ 足先から肩、頭までを静かに見る
・ 休みを生産性で測らない
・ 少しでも止まれたことを休みの一部として認める
このくらいで十分です。
疲れているのに休み方が分からない時、身体に戻るところからで大丈夫です。
すぐにうまく休めなくてもいい。
完璧にリラックスできなくてもいい。
少しでも止まれたなら、そこから少しずつ変わっていきます。
そのうち、眠り方や休み方も、少しずつ思い出していけるはずです。
休めるはずなのに回復しない感じや、頭だけがずっと動いてしまう感じが続いているなら、
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